約 3,485,555 件
https://w.atwiki.jp/hachinai_nanj/pages/2151.html
横浜DeNAベイスターズ記念ボール収集イベント 最終更新日時 2021/06/12 20 44 31 このページを編集 開催期間 2021/6/7(月) 12 00 ~ 2021/6/20(日) 16 59 メイン報酬 画像 カード アイテム名 備考 DeNAベイスターズコラボ記念ボール SSR確定チケット DeNAベイスターズコラボ記念ボールの変換でそれぞれ1個入手できる 絆の結晶(極) ココロのカギ(大) 初心者の方の優先度 【難易度】G1~A1 【オススメ度】最優先 Stage1は始めたばかりの監督でも勝てる難易度になっている。 周回の必要量は多いが、貴重なアイテムが手に入るので頑張って周回しよう。 イベント概要 各ステージ報酬のDeNAベイスターズコラボ記念ボールを集めて豪華報酬に変換しよう さらに全ユーザーの合計獲得数に応じてナインスター×20などの報酬が配布される(自身が100個以上集めていないと貰えないので注意) DeNAベイスターズコラボ記念ボールの交換ラインナップ 交換期限は7/4(日) 23 59まで 画像 アイテム・選手 必要数量 交換可能回数 SSR確定チケット ×1 1300 1回 ココロのカギ(大) ×1 1300 1回 絆の結晶(極) ×1 500 1回 レアチケット ×1 30 10回 絆の結晶(超) ×1 60 1回 絆の結晶(大) ×1 30 20回 絆の結晶(中) ×1 10 110回 絆の結晶(小) ×1 2 200回 ソウルストーン(花) ×1 20 40回 ソウルストーン(芽) ×1 4 190回 ソウルストーン(種) ×1 2 320回 ベアマックス(大)【各属性】 ×1 6 ∞ 部費 ×1 1 ∞ イベント構成 ステージ名 相手評価 初回報酬 消費元気 対戦ボーナス ドロップアイテム Stage1 G1 ×10 3 +100.0% × ×16 Stage2 F3 ×10 +190.0% ×13 × × Stage3 E5 ×10 +200.0% × ×17 Stage4 C1 ×15 5 +300.0% × ×1 × Stage5 B1 ×20 +400.0% ×15 ExStage A1 ×3 ×25 +510.0% ×8~34(偶数),39~53(奇数),72,98,110 獲得評価pt計算式 試合内容 評価pt 単打 二塁打 三塁打 HR 四球 盗塁 打点 猛打賞 奪三振 失点 三振 エラー 被安打 被HR 勝利 引き分け 敗北 50 100 150 300 10 50 300 300 50 -500 -25 -100 -50 -300 7000 6000 5000 (評価pt)=(試合内容の合計)×(1+対戦相手ボーナス) Q.彡(゚)(゚)「んで、どのステージがおすすめなんや?」 A.(´・ω・`)「 勝てば記念ボールが確定でドロップするStage5かExStageを周回しよう。 安定して勝てない場合は無理せず8割以上勝てるステージを周回しようね。」 累積報酬 画像 名前 個数 DeNAベイスターズコラボ記念ボール 1414 コメント 名前
https://w.atwiki.jp/nomurayuhki/pages/29.html
選手一覧 投手 00藤井秀悟 誰が呼んだかそのあだ名はafo。 ブログの更新頻度がすさまじい。 11山口俊 どすこい。 2012年はセ・リーグの中ではまともに見てられるくらいまでに成長。 12小林寛 コバカン。 14小林太志 コバフト。ってかやけに小林姓多いなベイスは。 まぁ使えるっちゃ使える。 15山本省吾 かつてはオリックスの左腕エース。 今は見る影もない。 16加賀繁 カロカロ君。 ルーキーイヤーのムエンゴぶりがすさまじかった。 17清水直行 地味様。どんなに勝とうが負けようが話題にならない。 移籍1年目は戦力になったものの、すぐに戦力外に。 18三浦大輔 ハマの番長。 ばんてふマジぐう聖。 19藤江均 ガッツはすごい。 20須田幸太 酢だこ。吉見(う)二世。 21加賀美希昇 ベイス期待の若手先発ローテ候補。 22高崎健太郎 ばんてふの後継者(ムエンゴ的な意味で) 24林昌範 一度思い余ってファンの前に全裸写真を公開した。 27江尻慎太郎 えじりん。意外と30代後半くらい。 28北方悠誠 30菊地和正 この人も真っ青のガンオタ。 ジーク・ジオン(`_´)ゞ 34篠原貴行 かつてはダイエーで左の中継ぎとして活躍。 しばらく見ないなと思ったらここで復活。 35牛田成樹 牛くん。かつての中継ぎエース。 最近は行方不明。 38ボビー・クレイマー 41大原慎司 ルーキーイヤーから71試合に登板。熱い酷使を受けた。 その影響からか2012年前半は行方不明。でも無事復帰。 45福山博之 46田中健二朗 47眞下貴之 48安斉雄虎 49福田岳洋 52ブランドン・マン Twitterがかわいい。 54小杉陽太 58阿斗里 60佐藤祥万 61ジオ・アルバラード 64古村徹 65国吉佑樹 異名はハマのダルビッシュ。 66王溢正 67伊藤拓郎 68佐村トラヴィス幹久 111富田康祐 115小林公太 118陳冠宇 捕手 10鶴岡一成 出戻り。一応正捕手。 29新沼慎二 イケメン。 2012年引退を発表。お疲れ様でした。 32高城俊人 期待の次世代正捕手。 36細山田武史 hsymd 57靏岡賢二郎 59黒羽根利規 まだ子供だった頃ばんてふとバッテリーを組む約束を交わし、見事成し遂げた。 その肩の強さは一級品。 112西森将司 116松下一郎 内野手 0山崎憲晴 新人の頃の開幕戦猛打賞で強烈な印象を残したが…。 ふつーは打てない人。 2渡辺直人 ナベチョク。前所属の楽天ではチーム内での人望も厚く、トレードが決まった後にはあの小物も涙した。 で、2012年は干される…(泣) 7石川雄洋 火と呼んで石川内野手。またはキャプテンTAKEHIRO。 なんだかんだでやらかすのである。 9一輝 一度首脳陣にブチ切れた。 23内村賢介 ちっちゃい子。 プロとのトレードでハマへ。 25筒香嘉智 この人の練習熱心さはガチでほかのチームメイトも見習った方がいい。 37桑原将志 42オスカー・サラサー 44渡邊雄貴 51大原淳也 55後藤武敏 スエェ ハマに来て謎の覚醒。 56ランディ・ルイーズ もはや扇風機。そして案の定。 62高森勇旗 63梶谷隆幸 99中村紀洋 ノリさん。ハマに来て遂に復活。 大阪近鉄-メジャー-オリックス-中日-東北楽天-バッティングセンター-横浜DeNA←いまここ 外野手 1金城龍彦 毎年特徴が変わる扱いづらい人。 3アレックス・ラミレス ハマのラミちゃん絶好調! 4荒波翔 足が速い。 5森本稀哲 ラーメンマン…いや違うな。 ムードメーカー。 6啓二朗 8小池正晃 バントとホームランしか打てない子。 26井手正太郎 31吉村裕基 モンチッチ。 2012年現在かっちこちに冷凍されている。 33乙坂智 39内藤雄太 お!ナイトゥー! 43北篤 50下園辰哉 Yahoo!速報内での二つ名はイケメンヒットメーカー。 OB選手
https://w.atwiki.jp/high-card/pages/23.html
11 ヘミングウェイカクテル/午後の死 あなたがよんだ 2018.5.2 作:杉本太祐 演出:永島真之介 CAST ユウマ:永島真之介 ジンペイ:今井裕也 アキ:遠藤正志 声:升野紗綾香
https://w.atwiki.jp/sakushiro/pages/101.html
日付リーグ主催開催対戦結果勝敗投手 2011年5月17日ELV山形県荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた東北楽天ゴールデンイーグルス●3-1小杉陽太 18日ELV山形県荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた東北楽天ゴールデンイーグルス●8-2田中健二朗 6月8日ILV宮城県日本製紙クリネックススタジアム宮城東北楽天ゴールデンイーグルス●5-1山本省吾 9日ILV宮城県日本製紙クリネックススタジアム宮城東北楽天ゴールデンイーグルス△2-2 7月5日ELV宮城県日本製紙クリネックススタジアム宮城東北楽天ゴールデンイーグルス●8-3阿斗里 6日ELV宮城県日本製紙クリネックススタジアム宮城東北楽天ゴールデンイーグルス○2-3小林寛 7日ELV宮城県日本製紙クリネックススタジアム宮城東北楽天ゴールデンイーグルス●4-3福山博之 8月9日CLH長野県長野オリンピックスタジアム讀賣ジャイアンツ●6-7山口俊 9月28日ELH神奈川県ベイスターズ球場東京ヤクルトスワローズ●3-4阿斗里 2012年4月15日CLH新潟県HARD OFF ECOスタジアム新潟讀賣ジャイアンツ○3-1篠原貴行 5月8日CLV栃木県清原球場讀賣ジャイアンツ△7-7 26日ILV宮城県日本製紙クリネックススタジアム宮城東北楽天ゴールデンイーグルス○1-8高崎健太郎 6月3日ELV山形県天童市スポーツセンター野球場東北楽天ゴールデンイーグルス●11-3福山博之 23日BCLV新潟県みどりと森の運動公園野球場新潟アルビレックスBC○6-10冨田康祐 8月14日CLH長野県長野オリンピックスタジアム阪神タイガース●1-3三浦大輔 15日ELH神奈川県横須賀スタジアム東京ヤクルトスワローズ○8-4福田岳洋 9月3日BCLV新潟県五十公野公園野球場新潟アルビレックスBC○1-4小林公太 4日ELV山形県荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた東北楽天ゴールデンイーグルス中止- 5日ELV山形県荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた東北楽天ゴールデンイーグルス○2-5眞下貴之
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/15870.html
登録日:2011/04/06(水) 09 26 52 更新日:2024/09/05 Thu 15 01 18 所要時間:約 30 分で読めます ▽タグ一覧 4強1弱1ベイス NPB ☆に願いをカード どうしてこうなった セ・リーグ チーム ネタチーム ピストル打線 プロ野球 プロ野球チーム ベイスターズ ベイスボール ホモ差別 マシンガン打線 マシンガン継投 他球団捕手の育成場 大洋 左門 所要時間30分以上の項目 打低投壊 指名回避 横浜を出る喜び 横浜市 横浜銀行 焼肉 球団 球界の産廃処理場 短い黄金期 神奈川県 選手の最終就職先 野球 野球チーム 横浜ベイスターズとは横浜に本拠地をおくプロ野球チームである。 テーマソングはtvkでよく流れる『熱き星たちよ』。 かつてはマシンガン打線を中心にAクラス争いをしたが、2000年代中頃から末期までは球界屈指のネタ球団であり、 そして12球団で一番弱く、前身・後身チーム含めてでさえ、優勝経験が過小であるチームでもあった。 この球団はかつて大洋ホエールズという名であり、巨人の星で左門豊作も所属していた事でも有名であった。 大洋ホエールズ時代は優勝・日本一こそ1960年の1回のみだが、守備に定評があるチームとして名を馳せ、 長嶋・王と言った歴史に残る大スターを擁した絶頂期の読売ジャイアンツ相手に渡り合えた数少ない球団であった。 球団創設地は山口県下関市だが、松竹ロビンスとの合併(*1)により本拠地は大阪球場、次いで川崎球場に移動し、1978年より現在の横浜スタジアムに落ち着いた(*2)。 やがて、1993年に親会社の大洋漁業がマルハに社名変更すること、ホエールズの名前の由来となった捕鯨事業の規制が年々強化されておりこれ以上球団イメージをクジラに頼ってはいられないことを受けて球団は生まれ変わり、横浜ベイスターズが誕生した。 ベイという名前の通り本拠地横浜スタジアムから歩いて数分で海があるのが特徴。 しかし、球界でスターになったのは18年で1度だけ。 □歴史 ◆発足から黄金期へ(1993年~1997年) 大洋時代の選手をベースに外国人のローズとブラッグスを獲得。 この頃はまだ前身時代から籍をおく選手が多数在籍しており、ベイスターズとしての生え抜きはまだいなかった。4年連続Bクラスというスタート。 1994年は借金わずか8という勝率の高さや日本一の巨人に勝ち越したことから史上最強の最下位と呼ばれ、 1995年は勝率5割でBクラスだった。 だが1996年は低迷し最下位の阪神とはわずか1ゲーム差であった。 しかし、1997年。転機が訪れた。巨人、中日の低迷もありヤクルトと優勝争いを演じ翌年の優勝候補チームになったのだ。 この時が後身である横浜DeNAベイスターズ時代含めて、ベイスターズが最も前途洋々だった時代であった。 ◆優勝そして、一瞬の黄金期(1998年~2001年) 前年優勝争いを演じた勢いそのままにマシンガン打線が爆発し38年ぶりの優勝、日本一を達成。 権藤監督の放任野球が上手くハマった形である。 1(遊)石井琢 2(中)波留 3(左)鈴木尚 4(二)ローズ 5(一)駒田 6(右)佐伯or中根 7(捕)谷繁 8(三)進藤 この打線はベイファンは忘れないスタメンであろう。 投手陣は中継ぎローテーション制度。 大魔神佐々木が神懸かり的な活躍をしMVPと流行語大賞を獲得。 チームは黄金期を迎える。この年のベイスターズがベイスターズ史上最強のナインと言っても過言ではなかった。 後にも先にも、優勝経験メンバーはこの時の選手だけなのだから。 1999年は野村、佐々木の故障により3位に終わるもローズの活躍もありチーム打率は前年を上回った。 しかし、2000年。 佐々木のメジャー移籍を皮切りにVメンバーが次々と離脱。 順位こそ3位で、金城、木塚の大ブレイクもあったが、この年からベイスターズ崩壊の足音が聞こえ始めた。 オフには権藤監督、ローズ、駒田が退団。 翌年は西武黄金時代を築いた森が監督に就任。徹底したミーティングとサインプレーを重視した野球を目指すも、180度違う野球観に選手が混乱。後述する選手同士の関係の悪さも追い討ちをかけた。 ルールや移籍組の活躍に救われ3位は死守したものの波留と進藤がトレードにより退団。更にオフには球団と森に不信感を抱いた谷繁が移籍。トドメに本業の経営悪化を受けて親会社のマルハが球団株の売却(=球団運営からの離脱)を発表。 そして、ここから長い暗黒時代が始まった… ◆TBS時代…暗黒時代(2002年~) 野球規則で揉めたためTBSが仕方なく親会社になった(*3)。 黄金期はAクラス争いを続けた横浜が前身の大洋時代以上の弱小チームとなることになるとは誰が思ったのだろうか?それも急激に…… TBS就任後の簡単な成績 2002年…春先大型連敗をし全日程最下位+サヨナラ勝ちなし 2003年…打線爆発も投手陣炎上、春先大型連敗+90敗越え 2004年…春先首位に立つも最後は最下位 2005年…投打が噛み合い3位と久しぶりのAクラス 2006年…一時期巨人と最下位争いをするも最下位に逆戻り+オープン戦、交流戦、シーズンの最下位三冠達成 2007年…移籍組の活躍もあり首位に立つが夏場の失速でプレーオフを逃す 2008年…ダントツ最下位に逆戻り、5年振りの90敗。首位打者内川の打率がチーム勝率を上回る奇跡(?) 2009年…再びダントツ最下位+2年連続90敗+3年ぶりの最下位三冠達成 2010年…序盤は最下位脱出(創設時の楽天よりも長く最下位にいた)も交流戦で失速しダントツ最下位+3年連続90敗の快挙達成 2011年…11年ぶりに開幕カード勝ち越しも5月以降失速でダントツの最下位 ど う し て こ う な っ た!! …とりあえず落ち着こう。 なぜ弱体化してしまったのか? 結構この点については沢山あるのだが、大まかに挙げるとこの辺になってくる。 ①世代交代に成功した時期もあったが、末期になるとドラフトで獲得した選手が活躍しない事が増えてきた(ただし、黄金期メンバーの頃は育成が成功していたので、裏方の世代交代もある) ②移籍選手の大半が35歳前後(既に全盛期を過ぎて下り坂の年齢である)。しかも、補強ではなく補充 ③連れてくる助っ人外国人の大半が何故かいつもいつもダメ外人 ④代々続く派閥の歴史。からの内部関係悪化 ⑤そもそも親会社から見放されている ①に関しては投手陣はフォームを魔改造され劣化。 野手陣は主力選手の後釜を発掘せず移籍した際にポジション不在という事態が頻繁に起こる。 そのため横浜では一軍半の選手が移籍すると一年間二軍暮らしになることが多々ある。 またスカウト陣も世代交代に失敗したことで有力選手を取れなくなったという側面がある。 例えば東海大学で、2002年ドラフトの自由枠で久保裕也の指名を予定していたのだが、フロントが担当スカウトに無断で別選手の指名方針に切り替えてしまい、キレたスカウトが久保が代わりに逆指名して入団したジャイアンツに移籍。 これにより東海大とのパイプを持ったスカウトが居なくなり、長く東海大系列から直接横浜に入団する選手が現れない事態に陥ってしまった。 え、別選手?もはや笑うしかないスキャンダル起こしたから指名回避しましたが何か ②は即戦力しか考えないのに球団経営が赤字なためどうしてもお払い箱にされ、能力が加齢で劣化した選手を獲得せざるを得ない。 それらの選手はもう一度花開くこともなく消えて行く。 光山、山北、森笠、入来弟、野口、佐久本、大西、デニーetc... 一昔前のパワプロ経験者なら聞いたことのある名前がズラリ並んでます…。 まぁ、種田、門倉、土肥、工藤、仁志、寺原、渡辺直、中村紀洋など一部例外もいる。 一応補足すると、各球団が全盛期を過ぎても下り坂の年齢で獲得する理由はちゃんとあり、若手の為の教科書的なポジションが多かったりする。しかし当時のベイスターズには教科書的な存在は意味が無かった。 ③はローズ、ブラッグスを境に連れてくる助っ人外国人がネタだらけ 以下数々のネタ ウドの大木ターマン ホームランしか打てないヤング 広島相手しか打てないグラン 3億払って一軍帯同数日コックス 荒れ球のみホワイトサイド 何故か楽天が拾ったウィット いきなり打たれたソニア 出れば打たれるヒューズ 決め球なしウィリアムス 脅威の負け運ウッド&グリン 二軍のリーダージェイジェイ 打撃が売りの投手ホセロ コーラガブ飲みチアソン ドーピング疑惑ビグビー 敗戦処理ブーチェック 原発と地震が恐いけど帰ってきたリーチ でも寸前×(1勝7敗)だったリーチ などなどネタ外人だらけ。 後に中日入りしてセ・リーグファンのトラウマとなったT.ウッズや、巨人で剛球を武器に活躍し胴上げ投手となったクルーンなど大物も発掘したが、本格化する前に放出してしまった感が強い。 あとはハーパーくらいしか当たり外人を発掘できなかった。 助っ人が使えない=戦力の計算が外れる→代わりがいないの負の連鎖が発生してしまう… ④はそもそも選手同士の仲が基本良くなかったのが発端。これについては波留や石井などといったマシンガン打線関係者も認めており、一方で試合の時は団結していたという状態であった。そして関係の悪さゆえに派閥が誕生し、権藤監督退任の原因や森監督の解任に繋がるレベルまでに至った。2000年代後半からは派閥状況が悪化してしまい、プロとは思えない姿勢や態度をとる選手が続出した。 ⑤は親会社に愛がないこと これが横浜弱体化の最大最悪の元凶。 仕方なく親会社になったTBSのため球団経営も適当。 そこに一場裏金問題で本業関係ないところで社長のクビを飛ばされ、さらに同時期のプロ野球再編問題の末にプロ野球の地上波放送が減り、買収の目当てであった巨人戦放映権ビジネスが成り立たなくなってしまう。 おまけに違約金含め7億円以上払ったコックスや5億円払った那須野巧がろくすっぽ活躍しなかったりで、加速度的に経営へのやる気が落ちる始末。 そもそも本業自体が相次ぐ改編失敗や不祥事による視聴者離れが深刻だった時期なので、球団の面倒を見る余裕もない。 前述のダメ外人や的外れ補強の原因でもある。 チーム運営に関しては監督が2年くらいで交代するためにチームの方向性が定まらず主力選手が退団。 さらには牛島監督時代に補強の要望を無視して揉めたことからその後イエスマン体質の監督を起用した事で本格的な負の連鎖へ落ちてしまった。 2010年オフはフロントの対応や負け癖のついたチームに関して選手から契約更改で批判された。 タイアップに関しても、 聴取率が取れず1年でラジオの中継を終了 野球中継=ドラマの番宣枠(番宣の方が多い) H2の実写版で無理矢理メインキャラをベイスターズに入団させる リンカーンで横浜対阪神戦の始球式を行なうも阪神と巨人ネタしかやらない 親会社なのに巨人と野村監督時代の楽天ばかりプッシュする こうして、選手やファンの反感を買う様な行為ばかりやらかし、ファンからはTBSの所在地にかけ「赤坂の悪魔」とまで呼ばれる様になった。 あまりの弱さからTBSが親会社になってから資産価値が50億近く下がった。 この暗黒期は敢えて言えば「4強1弱1論外」時代であった。勿論、広島を「弱」、横浜を「論外」と定め、残りを「強」と位置付けるのが適切である(*4)。 本業での不祥事について、代表的なものは以下の通り。 『筋肉番付』収録中に頸椎損傷の重傷者を出すなど、番組収録中の負傷事故が多発 『サンデーモーニング』で石原慎太郎東京都知事の韓国併合に関する発言を捏造したテロップを付けて放送した 公式スポーツサイトに掲載されていたコラムにて、編成制作本部スポーツ局担当部長が各新聞社から記事を盗用した上、フリーライターがやったように偽装した 格闘技番組に関連して掲示板の書き込みを捏造 また時期が異なる上、何度も書いている通り本来球団運営する気がなかった会社なのでもはやアンチのこじつけの域だが、「TBSビデオ問題」を契機として発生してしまったオウム真理教の「坂本堤弁護士一家殺害事件」の舞台が横浜だったという点でとやかく言われることも。 そして売却へ そして2010年オフ、ついに身売り騒動が起きた。 TBSがファンから嫌われてるためこのニュースにファンも大喜びした。 結果は… 交渉失敗しました 結局2011年も親会社はTBSです。 これに業を煮やした内川聖一は、球団を徹底批判してFA。 更には地元財界の有力人物である横浜スタジアムの社長・鶴岡博や、スタジアム会長で「ハマのドン」と呼ばれている地元港湾事業者社長の藤木幸夫が激怒し、 「横浜から出て行け!!」 と発言。 ベイスターズの未来はどうなるのか? ……かと思われたが2011年オフ、モバゲータウンの運営会社のDeNAが親会社に。 チーム名を横浜モバゲーベイスターズにしようとしてたが、ナベツネ「将軍様」が「モガベーは野球協約に違反する」と言ったため、 最終的に横浜DeNAベイスターズに落ち着いた。 …落ち着いた?まあ今は落ち着いてるからいいか。 この後は後身である横浜DeNAベイスターズを参照。 以下数々のネタ ここでは2002年以降のネタの数々を紹介 「古木、あーっと!」に始まる古木克明の数々の伝説 種田のガニ股打法にあやかりタネダンスなる応援の存在 スペランカー多村仁志 マシンガン継投 いつしか生まれたやる大矢のスレ シーズン途中にいなくなった大矢 監督が秋季キャンプ中に決まった 獲得した外人が来日前にドーピング疑惑発生 ドラフトで一場に裏金が発覚 数年後ドラフトで那須野に裏金5億円が発覚 直後に那須野とくまきりあさみの交際発覚 水差し野郎高宮 グラウンドで練習しないでサッカーしてる 遊び>>>(越えられない壁)>>>試合と練習 故障が癒えたランドルフを再契約→すぐに再発し解雇 尚典と琢朗と佐伯の退団方法がお粗末 ファン感謝デーでいきものがかりのライブ バット投げの名手早川が在籍(でも使えなかった) 中山エミリの妹と交際してから劣化した吉村 牛田の入場曲がパチスロエヴァ スタメン表の記入ミスにより翌日先発予定だった投手が急遽先発 フロント批判により弥太郎を1年で放出 代わりに総帥大沼を獲得→炎上 尾花監督試合中に居眠り疑惑 2011年5月1日探偵オペラ ミルキィホームズとコラボ 実力、人気共に最下位レベル(地元人気がない) 引退試合でホームランを放つメモリアルクラッシャー村田(被害者 佐々岡・矢野) ブラックホッシーの存在 シーズン中に合コンのセッティング 1試合9併殺を記録 TBS身売りから2011年までの通算で借金600越え 総帥大沼の不倫発覚 西武二軍とほぼ一軍ベストメンバーで練習試合をして、5-13でボロ負け 二軍が社会人野球チームと練習試合をして、0-8でボロ負け 93年から2011年までの歴史を作った選手達 ◇創世記から黄金期に入るまで 〇佐々木主浩 ご存じハマの大魔神。落差のあるフォークで幾多の記録を作った最強の守護神。 米のマリナーズを経て2004年に復帰したが、この頃には度重なる怪我と自身の加齢で、前半こそは活躍したものの体力が続かず失速。2005年引退。国内250セーブを達成して去っていった。 だが、絶頂期の活躍は紛れも無く最強の守護神であり、この当時を知るの人々が横浜ベイスターズのピッチャーは?と聞かれると、 まず最初に名が上がるのは間違いなく彼である。 なにせ、「登板すれば横浜の勝ちパターン」「横浜戦は8回までが勝負」などと、他球団ファンを絶望に追い込んでいたのである。 現在はニッポン放送・TBSの野球解説者。野球と離れたところでは、馬主としても有名で、ヴィクトリアマイル2連覇を達成したヴィルシーナやジャパンカップ勝ち馬シュヴァルグラン、秋華賞とドバイターフを制したヴィブロスなどの名馬を所有していた。 〇ロバート・ローズ 元々は守備が出来る二塁手として取ったが蓋を開けてみれば打つ方も凄かった最強助っ人。 8年で打率3割を7回記録。99年153打点はチーム記録にして歴代2位の記録。チャンス時の打率が安定して高く、対戦チームの悩みになっていた。 その打棒には他球団も戦々恐々としており、特に巨人は投手陣の査定条件を「ローズに打たれても単打ならプラス査定」にしていたとまで伝わる。 2003年ロッテに入団したが、キャンプの最中に退団してしまった。 なお、55本に並んだタフィ・ローズと区別するため「白ローズ」「白薔薇」とも呼ばれる。 〇石井琢朗 元は投手で登録名も「石井忠徳」だったが、大洋最終年に三塁手へと野手転向し験担ぎで「琢朗」に登録名を変えると創設1年目に盗塁王を獲得。 さらに遊撃手への転向を経て、その後は不動の1番打者としてチーム歴代1位の安打数を記録したが2008年に引退勧告、からの自由契約となり広島に拾われる。 2012年引退。何の縁か最後の試合はハマスタでのDeNA戦だった。引退試合で両ファンが見せた応援歌の大合唱は語り種となっている。 その後広島の打撃コーチとなり、2016年の広島25年ぶりの優勝の影の立役者となった。後にヤクルト、巨人のコーチを務めた後2022年にDeNAに復帰。 野手転向時に猛練習を行った話は有名だが、前述した派閥の中心人物としても有名。 〇谷繁元信 創設初年度は守備の不安から控えに回ったが元捕手・大矢の鬼指導を経て不動の捕手になった。 2001年オフ球団や森監督との関係が悪化し、FAで中日へ。2014年からは選手兼任監督となり、2015年に引退した後も2016年途中まで監督を務めた。引退まで27年間主力であり続け、通算出場試合数は3021試合で歴代1位。2006年WBC日本代表。 DeNAのコーチとして呼ばれるという記事も出たが、身内のトラブルによりお流れになったとか。 〇三浦大輔 スローカーブを武器に初年度から暗黒時代終焉まで主力として活躍し続けたハマの番長。背番号18を背負って18年目になる2016年初のCS進出決定を見届けて引退。2004年アテネ五輪日本代表。 背番号18は「横浜ナンバー」とされ、引退後は解説者兼馬主を務めた後、2019年からは「横浜ナンバー」を背負いコーチに。 その後2021年からは数字をひっくり返した「81」を背負い監督を務めている。 〇グレン・ブラッグス 初年度にやってきたメジャーリーガー。引退までの4年間不動の4番を務めた長打力に加えて外野守備も優秀。ものすごく短気。 〇鈴木尚典 張本勲を彷彿とさせる天才的な打撃から「ハマの安打製造機」の異名をとった名打者。 95年からレギュラーとして活躍し球界を代表する打撃力で首位打者を2回獲得。 しかし守備の面ではこれまたハリーを彷彿とさせるほど難があり、優秀だった横浜守備陣の唯一の穴となっていた。 98年シーズンには首位打者を獲得し優勝の原動力に、日本シリーズでは打率.480と大暴れしシリーズMVPを受賞する大活躍で日本一に貢献した。最終回で照明が目に入ってやらかしたのは秘密。 2004年から成績が落ち込み2008年自由契約。石井・佐伯と異なりそのまま引退し球団職員になった。 〇進藤達哉 当時の日本人最高レベルの守備に加え意外性の打撃の持ち主として大洋末期から黄金期まで主力だったが、故障で半分離脱した2000年オフにオリックスに移籍、福本豊以来空き番の7を引き継いだ。2003年引退。 その後コーチとして帰ってきて現在はDeNAのフロント。 〇盛田幸希 シュートを武器に佐々木と共にダブルストッパーを形成。しかし、先発転向を境に不振となり97年オフ近鉄へ移籍。 その後脳腫瘍から復活という伝説を残した。 2002年を最後に引退。その後も脳腫瘍の再発に悩まされ続け、2015年に45歳という若さで死去。 〇屋敷要 大洋時代のスーパーカートリオの一人にして当時の球界屈指の好守の持ち主。 晩年のため控えとして活躍したが93年オフに駒田獲得の資金確保のため解雇されるも、長嶋茂雄に拾われて巨人で2年間活躍。 現在は大学野球のコーチをしながらSLの撮り鉄をしている。 〇高木豊 屋敷同様スーパーカートリオの一人。 衰えとローズの加入から二塁から一塁転向で結果を残したが屋敷と同じ理由で解雇。日本ハムに拾われるも翌年引退。 現在はタレント兼解説者で、近年は「野球解説YouTuber」の先駆け的存在にもなったことでも知られている。 また3人の息子が全員Jリーガーになったことからサッカーにも関わりがある。 〇山崎賢一 こけしバットで人気を博したベテラン。これまた駒田獲得のため初年度終了後に解雇。 〇畠山準 「はたけやま」ではなく「はたやま」。 元々は池田高校やまびこ打線のエースで、鳴り物入りで南海に入団した。 その後打者転向と移籍を経て横浜で大活躍した。 波留・鈴木・佐伯の台頭から控えに回り代打要員で優勝に貢献。 〇野村弘樹 PL時代は立浪和義・宮本慎也・片岡篤史・橋本清らと共に甲子園春夏連覇を果たした、制球力抜群の初代エース投手。 優勝翌年から故障で劣化し、33歳の若さで引退。 なお、投手にしては打撃力もあり、高校時代には立浪や片岡を押しのけて4番に座り、黄金期には「マシンガン打線の9人目」などと呼ばれ、応援歌はDeNAになった後左腕先発テーマとして流用された。 〇斎藤隆 96年初の二桁勝利をあげ覚醒するも故障で1年の離脱。 その後は復帰し黄金期はエース、暗黒期初期は守護神として活躍。先発再転向後は衰えから劣化し、複数年契約に見合わなくなった結果ファンからは「アレ」と呼ばれる程のヘイトを集めるに至ってしまう。 その後アメリカ挑戦を表明、ファンからは思い出作りとみられていたがリリーバーとして大復活。特に2011年にプレーオフであの最強打者・プホルスと2度対戦して2度共抑えたという活躍は当時41歳という事もあり強烈な印象に残った人も多いだろう。 2013年、故郷杜の都にて日本球界に復帰、楽天を日本一に導いて2015年に引退した。 〇駒田徳広 94年巨人からFAでやって来た元祖満塁男。 勝負強い打撃と守備を武器にキャプテンとして優勝に貢献。2000安打達成後、短気な性格が災いし球団や監督と揉めた。現役続行を希望し自由契約となったが結局引退。引退会見の物寂しさは伝説的。 馬面で野次られることの多い選手とネタにも事欠かなかった。アニメ版CLANNADで岡崎汐が彼の打撃フォームを物真似したため話題になり、AAまで作られた。 〇佐伯貴弘 初年度ルーキー。勝負強い打撃とお笑い芸人に匹敵する話術で愛された。 暗黒期は3番4番として活躍したが2010年に自由契約。中日に拾われて翌年引退。後に中日の二軍監督やコーチを勤めるが、谷繁の解任と共に佐伯も解任となる。 〇斉藤明夫 大洋後期のエース。衰えからベイスターズ元年の93年は特に活躍することはなく引退・コーチ転向。 現役時代から怒らせると怖く、96年のVS巨人戦での乱闘劇は有名。 〇秋元宏作 谷繁の控えとしてチームを支えた捕手。 谷繁がイマイチだった時は主に佐々木専用捕手として使われていたが、その谷繁の守備が改善されて以降は出場が減り、さらに2000年に相川と鶴岡が台頭したことにより引退。 〇波留敏夫 石井琢朗と超攻撃的1・2番を、また佐伯とお笑いキャラ同士タッグを組み愛された走攻守そろったムードメーカー。 2001年シーズン途中不振と干され気味だったことで中日にトレード移籍し会見で涙を流した。 その後さらにロッテに移籍するも2004年に引退。その後は横浜含めコーチを歴任、根性論的な言動や上層部とのトラブルもあるが選手の成績向上の実績も持つなど評価が割れている。 〇五十嵐英樹 初年度ルーキーの一人。ヒゲ魔神の愛称で親しまれた中継ぎ投手。 後に彼の背番号13は着用した選手が軒並み活躍出来なかった…どころか野球関係ないところで散々な目に遭った事で「呪われた背番号」扱いされる事になる。 〇島田直也 打たせて取るピッチングでチームを支えた中継ぎエース。 引退後は紆余曲折を経て母校である常総学院高校の野球部監督に。 〇小桧山雅仁 バルセロナ五輪代表の初年度ドラフト1位。1年目はフル回転したが酷使が祟りその後は低迷。彼の背番号19は先代が大洋時代の91年オフに起こした事件も相まって、DeNA売却後に山﨑康晃が不動の守護神として活躍するまで「呪われた背番号」扱いされていた。 〇永池恭男 石井と共に将来の担う内野手として期待されたが万永とタイプが被ったことにより97年オフ巨人に移籍。 〇デニー友利 ドラフト1位入団と甘いマスクということで毎年期待されていたが結果を残せず97年に西武へ移籍し覚醒。 2003年横浜復帰するも活躍できずアメリカ挑戦を経て中日優勝に貢献した後引退。熱い男で近年ではデニキというニックネームでも呼ばれる一方母子家庭の苦しみを知る事から西武時代は西武ドームのシーズンシートを購入して母子家庭を招待していた。 その後横浜と中日で投手コーチを務めた。 〇有働克也 初年度から2年連続で開幕投手を務めた先発ローテの一員。96年シーズン途中に登録名を「有働勝次」に変更したが同年限りで戦力外、中日に移籍。 〇宮里太 初代選手会長で主に左の代打として活躍。黄金期初年度の97年に引退。 〇万永貴志 内野のスーパーサブとして2005年まで長きにわたってチームを支えた。応援歌がイメージと合わないことで有名。 〇井上純 左の代打兼代走要員でチームを支えた外野手。黄金期は代打の切り札を務めた。ロッテの2005年の日本一にも貢献。 ◇黄金期 〇川村丈夫 1年目から二桁勝利をあげ黄金期はエースとして活躍、優勝翌年の99年にはリーグ3位の17勝を記録。一時期の低迷を経て、暗黒期前半はクアトロKの一員として中継ぎエースを務めた。 被弾が多く、ルーキーイヤーとその翌年はリーグ最多の被本塁打数を記録してしまっている。 〇金城龍彦 黄金期最終年の2000年野手転向2年で首位打者と新人王を獲得。その後2年は低迷するが2003年から3年連続三割二桁本塁打を記録し復活。 その後は安定した打撃や強肩を武器にミスターベイスターズとして活躍。2006年WBC日本代表。2014年オフ、引退勧告を蹴る形でFAし巨人へ移籍するも、翌2015年は怪我が祟って二軍暮らしを強いられ引退。 現在は巨人コーチ。 〇多村仁志 怪我を乗り越え2000年に1軍定着。 2003年中盤から覚醒し、チームの顔として2006年WBCで活躍するが故障が原因で同年オフにソフトバンクへトレード。しかし、2013年古巣へ帰還し、スーパーサブとして活躍。2016年に中日に育成契約で移籍するも引退。 故障の多さや内容からスペランカーとも呼ばれるが、故障してない時はトップクラスの成績を残しているのもまた事実。 〇中根仁 98年脱税で出場停止を食らった波留の穴埋めとして、盛田とのトレードで近鉄から移籍。 勝負強い打撃で右の代打兼左投手先発時のスタメンとして活躍したチームの兄貴。2003年多村が一人前になるという願いが叶い引退。 〇阿波野秀幸 投壊近鉄でエースとしてフル回転し優勝を支えた左腕。巨人で低迷していたところをかつての恩師権藤に拾われ98年に移籍。2年間中継ぎとして優勝に貢献した。 〇西清孝 万年二軍暮らし⇒打撃投手を経て開花した苦労人。97年から2年間中継ぎとして活躍。 〇木塚敦志 現役での登板機会が全てリリーフという鉄腕。1年間から活躍し長きにわたり活躍した闘志むきだしのサイドハンド。クアトロKの一人。 引退後投手コーチになり、DeNAになって以降の投手陣底上げに貢献した。 〇戸叶尚 ノーコンながら97年には二桁勝利を記録するなど次期エースとして期待されたが、99年に呪いの背番号19を着用してから低迷し、2000年オフトレードでオリックスへ移籍。球団合併分配で行った楽天で引退。 〇福盛和男 97年から先発中継ぎ抑えと便利屋として活躍するが2003年オフトレードで近鉄へ。 移籍後は近鉄最後の守護神と楽天最初の守護神としても活躍。戸叶と共にイケメンとして人気もあった。 〇川端一彰 97年は少ない打席で打率三割を記録し、98年は複数ポジションの守備固めで優勝に貢献したユーティリティ選手。 〇荒井幸雄 ヤクルト黄金期を支えた大ベテラン。移籍初年度の98年から2年間左の代打として活躍。 〇小宮山悟 2000年FAを恐れたロッテから自由契約で移籍してきたベテラン右腕。 移籍2年目は三浦とのダブルエースで活躍したがオフにFAでアメリカ挑戦。その後1年の浪人を経てロッテに復帰すると、井上同様優勝に貢献した。 〇森中聖雄 99年から4年間中継ぎとして活躍した左腕。ゴジラ松井の大好物。 〇河原隆一 地元出身94年ドラフト1位左腕。97年から左のワンポイントとして活躍し、優勝にも貢献。CDに収録された応援歌は応援歌ファンの間では名曲…とされるがいかんせん演奏機会がなかった(*5)。 〇横山道哉 98年ハマの中魔神として1軍に定着。その後は伸び悩んだが日ハムへ移籍後、北の大魔神として復活。2007年自由契約で復帰し中継ぎとして活躍。 長くスコアラーを務めていたため、ベンチに座る彼の姿を見かける機会も多かった。 〇石井義人 2000年に代打兼右投手先発時のスタメンとして1軍定着。打撃はチーム屈指のレベルだったが守備のまずさが原因で2003年西武へ移籍。 才能が本格的に開花した西武ではスタメン、巨人では代打の切り札として優勝に貢献。 〇相川亮二 2000年に秋元から2番手捕手を奪い、2004年から正捕手を務めたが2008年オフチームに不信感を抱きFAでヤクルトに、2014年に巨人に移籍し2017年に引退。選手時代はリーグ優勝や日本一に縁がなかった。 弟はテニミュの亜久津仁、所謂「白菜」だったりする。 2004年アテネ五輪、2006年・2013年WBC日本代表。 〇田中一徳 98年に2年生ながら甲子園でPL学園高の一員として活躍し、2000年高卒ルーキー開幕1軍の快挙を成し遂げた俊足の外野手。 極端なクラウチング打法や代打の切り札としてファンから愛されたが盗塁技術の無さが響き、2006年解雇。 ◇暗黒期前半 〇村田修一 ルーキーイヤーの2003年から主軸をはった主砲。2006年中盤から4番を務め本塁打王を獲得。 2008年北京五輪ではミスを連発したが2009年WBCでは故障離脱まで大活躍。しかし、最終年に不信感を抱きFAで巨人へ移籍。通称男村田及びケデブ(*6)。 悪くない成績かつ2000本安打目前であったが2017年に巨人を戦力外に。どこか獲るだろうと思われたがどこも獲らず、BC栃木へ。 なんやかんや注目された末に2018年引退。独立リーグでの引退試合後、改めてその年の巨人対DeNAの最終戦(巨人主催)で引退セレモニーを開いてもらえた。 さらにコーチとして巨人に戻ってきた後、2023年からはロッテでコーチを務める。 良くも悪くも「お山の大将」意識が最後まで抜けきらず、巨人在籍時には村田のプロとしての意識の低さを嘆いた駒田による暴露記事が出てしまった有名。 〇内川聖一 高卒2年目から1軍に定着。守備に不安はあるが打撃力はチーム屈指で、2004年に覚醒......かと思われたがレギュラーに定着しきれずしばらくは控え。 2008年に一塁コンバートしたことで首位打者獲得と覚醒。しかし、上記でも触れたように肝心のチームはというと、勝率が内川の打率を下回っているという有り様だった。 その事もあってか、2010年チームと完全に決別しFAでソフトバンクへ移籍。2020年に球団に頼み、自由契約となる。そしてヤクルトに移籍、チームのリーグ二連覇を見届ける形で2022年に退団。2023年は地元大分の独立リーグのチームでプレーを続けつつ、野球解説者としても活動していたが、その年限りで選手として現役引退した。 上記のFA移籍の際の言動や本人の歯に衣着せぬ性格もあり一時期はベイスターズファンから目の敵にされていた。 だが、近年では親会社の交代や、暗黒時代におけるチーム状況のあまりの酷さを物語るエピソードが他選手の口から語られる機会も増えたことから「内川がこれだけ言うのも当然」とファン側での理解が進んだこともあり雪解け。球団史を振り返る公式映像でインタビューに答えFA移籍についても触れるなど、関係は改善している。 右打者としての最高打率を更新し、6年連続打率3割を達成した球界最高打者の一人。チームリーダーとしても大きく貢献していた。通称チック。2009年、2013年、2017年WBC日本代表。 内川コピペはあまりにも有名。 〇種田仁 2001年シーズン途中に波留とのトレードで中日から移籍。ガニマタ打法といぶし銀の打撃で2年連続打率三割を記録するなどファンから愛された選手。 〇タイロン・ウッズ 2003年から2年間4番を務めた怪物。年俸で揉めたため中日に移籍し、2008年まで活躍した。 コックスのオマケで取ったはずなのだが… 〇小池正晃 98年横浜高校の1番打者で2005年にリーグ最多犠打+20本塁打を放つなど活躍したがその後は伸び悩み2008年シーズン途中に中日移籍。 優勝に貢献した後FAでDeNA初年度に復帰。引退試合で2ホーマーという伝説を残した。 〇古木克明 日本一に輝いた98年オフにドラフト1位(松坂大輔のハズレ)指名を受け入団。2002年僅か1ヶ月半で9本塁打を記録するなど将来を期待されたが、2003年には打率.208・22本塁打・38打点とある意味凄まじい成績を残す。 チャンスに弱いうえに守備が当時の日本球界最低レベルだった(実は極度のドライアイだった事が引退後に判明したので、それが原因だと考えられる)こともあり、出番を失い2008年トレードでオリックスに移籍するが結果を残せず解雇。 一時期格闘家転向⇒野球再開と現在に至るまでネタが絶えないある意味伝説の男。 小学校時代には卒業文集で「(当時低迷していた)大洋とロッテ(オリオンズ)だけは絶対に行きたくない」と書いていたが(*7)、よりによってその大洋の後身であるベイスターズにドラ1で入団することに。当時は日本一になったばかりだからね、仕方ないね。なお入団後。 〇マーク・クルーン 2005年不振の佐々木に代わり3年間守護神を務めたクアトロKの一員であり日本球界最速男。 制球難で劇場型ではあったがファンサービスを欠かさない性格で人気も高かった。 07オフに巨人に移籍しそちらでも守護神になるが巨人3年目に炎上が目立ったため解雇された。 〇加藤武治 1年目からリリーフとして活躍した右のサイドハンドでクアトロKの一人。先発転向が失敗し、日ハム移籍後も復活ならず解雇。 〇ドミンゴ・グスマン 2002年から先発ローテを務めた助っ人右腕。中日移籍後は二桁勝利を記録。 ネットで使われる〇〇ンゴの由来はこの人の楽天時代の炎上活躍から。 〇若田部健一 地元神奈川(鎌倉市)生まれで、幼少期は横浜の全身である大洋ホエールズのファンクラブ(友の会)に入っていた。ダイエーを暗黒時代の黎明期から支え続け、99年・2000年の連覇に貢献した元エース。 02年オフにFAで幼少期からの憧れだったベイスターズに移籍。ファンからも先発ローテの救世主として期待されたが、2年間でわずか1勝のみに終わり、一軍登板なしに終わった05年オフに解雇され引退。同時期に高額複数年契約を結びながら思わしい成績を残せていなかった佐々木・斎藤隆・鈴木尚とともに不良債権カルテットを形成してしまった。 ○エディ・ギャラード 中日で剛腕守護神として活躍していたが、2003年に起用法で首脳陣と揉めて自由契約になったところを拾われて加入した(*8)右腕。 しかし2004年は佐々木の復帰でまた同じく起用法で首脳陣と揉める事になり、シーズン途中で退団となった。ちなみに同年は呪いの背番号である19を着用していた… 〇門倉健 2004年福盛とのトレードで近鉄から移籍。 佐々木の代役を務めた翌年の2005年に最多奪三振を獲得し復活したが、 翌年オフ球団から「10勝しても10敗する投手はいらない」という伝説の発言を言い放たれたことでFAで巨人に移籍するも活躍できず。 〇土肥義弘 西武で左の中継ぎエースとして活躍したが先発転向の要望を叶えるため2004年シーズン途中に移籍。 横浜では希望通り先発を務め無類の巨人キラーとして活躍したが2008年に解雇。 〇セドリック・バワーズ 2004年から2年間先発として活躍した左腕だったがノーコンがたたり解雇。 06年は楽天に移籍するも(本当に)何もしないまま退団した。 〇吉見祐治 2002年二桁勝利をあげて次期エースとして期待されたがその後は便利屋となる一方伸び悩み、2010年シーズン途中ロッテに移籍。 2014年のみ阪神でプレーし、オフに引退。翌2015年からは打撃投手としてチームに復帰。 打撃力が異常に良く、「打てる投手」を通り越して「投げれる野手」と言われたことも。 ロッテへの移籍時も「打席が見られなくなる」というズレた嘆きの声が多数上がったほど。 〇中村武志 2002年谷繁と入れ替わりで中日から移籍。 出場機会を求めて移籍したものの体の衰えは隠しきれず、2004年には第2捕手という立場すら奪われる。後に創設初年度の楽天に移籍し後に引退。 〇鶴岡一成 2004年相川の五輪離脱期間中に打ちまくり、中村から第2捕手を奪い一軍定着。しかし、2008年シーズン途中相川のFA移籍が確実なのにトレードで巨人へ移籍。 DeNA初年度の2012年FAで復帰し正捕手として活躍したが、久保の人的補償で2013年オフに阪神へ移籍し3年後引退。 移籍先では併用あるいは第2捕手として非常に重宝され、巨人ではリーグ優勝と日本一、阪神では投手育成とプレーオフに大きく貢献した。 〇竹下慎太郎 2001年から2年間活躍した左腕。入団時30歳というオールドルーキーだった。 〇野中信吾 高卒3年目で横山とのトレードで日ハムから移籍。チーム1の俊足で2005年から代走要員として活躍。2011年トレードでオリックス移籍。 〇中野渡進 2001年中継ぎでフル回転した長身右腕。性格の悪さが原因となりわずか4年で引退。 その後はもつ鍋屋に転身し、歯に衣着せぬ言動が評判を呼びコラムニストとしても活動。 現在は飲食業からは身を引き工場経営を行う。 〇木村昇吾 2003年村田と共に新人で開幕1軍入り、便利屋として1軍に帯同していたが出番がなく2008年に広島移籍、2016年にはFAしても獲得先がなかった中拾われるような形で西武に移籍。移籍した先々でスーパーサブとして活躍するも、西武移籍後に故障し戦力外、クリケット選手に転身。 〇那須野巧 2005年ドラフト1位。 大学No.1左腕という評価をひっさげて入団するが、1年間中継ぎでフル回転しただけで終わり、2009年オフ、ロッテに移籍するが出番なく解雇。 向上心、闘争心がなく、とにかく練習嫌いだった事でも知られる。また2007年に入団前5億の裏金を貰っていたことが発覚。 アニヲタ的には「てーきゅう」の登場人物・高宮なすのの由来としてお馴染み。 ◇暗黒期後半 〇吉村裕基 2006年に覚醒した長距離砲。 村田との東福岡高校コンビで本塁打を量産していたが2010年から成績が低迷(*9)。 GW前後だけ絶好調(解凍)される成績を繰り返し、2013年多村らのトレードで地元福岡へ帰還した。2014年は復活し優勝に貢献するも、2018年に戦力外。 〇石川雄洋 地元横浜高校から入団、2007年から台頭した遊撃手。 若返りの一環で石井からレギュラーを奪い守備に難はあるものの2010年は盗塁王争いを演じるなど暗黒期末期の希望の星の一人だった。 暗黒期を脱した後は二塁手に移ったが、若手の台頭で出番が減っていき2020年に引退。その後はアメフト選手に転向した。 〇藤田一也 コンスタントに3割前後を記録するバットコントロールと堅実な守備が売りの二塁手。 一時は同期入団の石川と共に将来の二遊間と期待されたが、球団が嫌がらせかの如く二塁手の補強を繰り返したため代打守備要員が大半だった。 2012年DeNA初年度の夏に楽天へ移籍。移籍後はパリーグ屈指の二塁手になった後、2021年に戦力外を受け、ベイスターズに復帰した。2023年に惜しまれながら現役引退。 〇寺原隼人 2002年超高校級右腕として鳴り物入りでダイエーに入団するも3年目から故障で伸び悩み2007年多村とのトレードで移籍。 1年目は自身初の二桁勝利、2年目はチームの弱さから登板機会が少なくヒ魔神と揶揄されながらも代理守護神で20Sと活躍。 だが2009年から故障などで不振となったことやダイエー時代から続く尾花監督との確執から2011年トレードでオリックスへ… オリックスでも二桁勝利をあげたが2014年FAで地元九州のソフトバンクへ帰還。 〇工藤公康 2007年門倉の人的補償で巨人から移籍した歴史に残る左腕投手。 ハマのおじさんの愛称で1年目は先発として活躍したが2年目は故障でリタイア、3年目は中継ぎで1軍に復帰したが衰えは隠せず4年目に解雇。 その後2015年から7年間ソフトバンクの監督として元チームメイトの内川、寺原、吉村を指揮。3度のリーグ制覇と5度の日本一(2回CS突破しているため)を達成した。 〇仁志敏久 長きにわたり巨人を支えた二塁手だったが小坂誠の加入と原辰徳監督との確執からトレードで2007年移籍。 1年目は石井とのベテラン12番二遊間コンビで活躍。しかし、3年目極度の不振に陥り解雇され、翌年アメリカに渡り引退。 現在は二軍監督を務めている。 ダウンタウンの浜ちゃんが仁志の移籍で巨人ファンをやめてしまったという話も有名。 〇高宮和也 2006年ドラフト1位左腕。炎上を繰り返して某毒舌実況アナからは「水差し野郎」とボロクソに言われたのは有名。 しかし、後にトレードでオリックスへ移籍したオリックスでは貴重な中継ぎ左腕として1年活躍し、FAの人的補償で移籍した阪神でもプレーオフ制覇に貢献。2017年に戦力外。 那須野同様、「てーきゅう」の高宮なすのの名前の由来として知られる。 〇石井裕也 生まれながらに難聴のハンデを持ち、サイレントKという異名をとる地元芹が谷出身の左腕。 2009年シーズン中盤に同じく地元松原商店街出身の小池とのトレードで中日から移籍、 1年目は中継ぎ抑えで活躍したが2年目は開幕から炎上、春先に江尻とのトレードで日ハムに移籍。 それ以降は長きにわたりリリーフとして活躍、2018年まで現役を続けた。 〇山口俊 愛称はどすこい。2006年高校ドラフト1位右腕。高校時代から150キロを投げる剛腕として将来を期待されると2008年シーズン後半から覚醒。 2009年から4年間守護神を任され最年少100セーブを達成するなど暗黒期末期希望の星の一人だった。 2014年中盤から先発にコンバートされ復活。初の二桁勝利を挙げた2016年オフにFA、巨人に移籍。 移籍初年度こそ怪我と不祥事でシーズンを棒に振るも、翌年以降は先発の柱として見事な活躍を見せメジャー挑戦。しかしそれ以降はさっぱりとなり、2021年途中に巨人に復帰した後翌年戦力外に。 〇牛田成樹 2006年中盤から先発で台頭するも病気や故障で数年低迷。2010年に中継ぎで1軍に戻るとフォークだけで三振を量産し山口に繋ぐ中継ぎエースに成長。 しかし、極度の故障癖が原因でDeNAになってからは低迷し2013年引退。 〇真田裕貴 2002年高卒1年目で巨人の優勝に貢献したドラ1投手。 鶴岡とのトレードで2008年シーズン中盤に移籍すると中継ぎでフル回転した。しかし、調子にのってアメリカ移籍を表明し横浜最終年終了後退団。 当然オファーはなくその後は古巣巨人で炎上し解雇→台湾で無双→ヤクルトで炎上し解雇。 〇下園辰哉 2009年中盤からレギュラーを掴んだイケメン外野手。 走攻守全てで中途半端だったりネタの宝庫だったが暗黒期末期は彼の選球眼だけが楽しみとファンは口を揃えて語っていた。 チームが強くなってからは代打要員として活躍、選手会長も務めた。守備もさすがにかつてよりかは成長していた しかし、2016年後半から急激に成績が低迷、2017年引退。 〇松本啓二朗 ハンカチ王子ら早稲田大学黄金期メンバーの一員として2009年大学ナンバーワン外野手の評価を引っ提げて入団した逸材…だったが、 打撃面で期待外れとなりドラフト1位ながらも伸び悩み続け、2017年戦力外。 〇細山田武史 松本と同じく早稲田大学から入団した捕手。主食は牛丼。 1年目からスタメンとして名を連ねたが打撃と肩が2軍レベルだったため2011年の黒羽根の台頭から年々出番が減少し2013年解雇。 拾われたソフトバンクで3軍正捕手を務めたあと、社会人野球のトヨタ自動車に入社、扇の要として都市対抗優勝に貢献した。 〇スティーブン・ランドルフ 2009年中盤から加入した日本生まれのベテラン左腕助っ人。 1年目は救世主となり翌年は開幕投手となるが故障で大不振に陥り解雇。2011年震災にビビったリーチの穴埋めで復帰したが故障が再発し1ヶ月で解雇。 〇ダン・ジョンソン 2009年移籍、現役メジャーリーガーとして期待された長距離砲。選球眼にも定評があった。 20本塁打はクリアしたが外野手で獲ったのに外野が出来ない、打率が2割前半、チャンスに弱い、年俸が高いという理由で解雇。 〇ライアン・グリン 2009年前年のムエンゴが理由で日ハムから移籍した先発右腕。 しかし、横浜では炎上とムエンゴが重なり防御率5点台の15敗と散々で解雇。 〇ホセ・カスティーヨ 2010年加入した二塁手の助っ人。彼の加入で藤田はベンチに… 打力はまずまず、肩は良かったが守備に不安がありレギュラーだったのに解雇されロッテへ。 〇ターメル・スレッジ 2010年日ハムから移籍した長距離砲。 調子にムラはあったが日ハム時代を含めて3年連続20本塁打(しかも最終年は違反球)と活躍したが年俸の高さと守備面の弱さもあり2年で退団し日ハムへ復帰。 〇ブレット・ハーパー 2010年シーズン中盤に仁志のアメリカ土産で来た長距離砲。 クルーンから逆転サヨナラグランドスラムを放つなど3ヶ月で19本塁打と驚異的なペースで打ち続けたが翌年は違反球に苦しみ中盤からは中村紀洋と併用となり解雇、楽天で1年プレーした。 フェンス直撃シングルヒットなど驚異的な鈍足としても知られた。 〇江尻慎太郎 故障で1年離脱した結果2010年開幕直後に石井裕也とのトレードで日ハムから移籍。 中継ぎ配置が滅茶苦茶だった暗黒期末期の横浜では経験豊富な中継ぎとしてフル回転しオールスターにも選ばれた。 2013年多村復帰のトレードでソフトバンクへ移籍し2014年引退。 〇小林太志 2008年ドラフト1位右腕として1年目は先発ローテに名を連ねたが、それ以降は低迷と復活目前を繰り返した結果2014年に解雇。 〇小関竜也 西武を長きにわたり支えた外野守備の名手。巨人を解雇され2008年に移籍すると開幕直後は絶好調となりスタメンに名を連ねた。しかし、その後不振を極め解雇。 〇大西宏明 2008年に同い年で仲の良い古木とのトレードでオリックスから移籍した左キラー。 最初の2年は期待に応えたが、2010年尾花監督に干されるとブログで首脳陣を批判したことが原因で解雇。 〇内藤雄太 少年時代試合中にした約束を佐伯が果たして以来佐伯に憧れた外野手。 2011年開幕戦でサヨナラタイムリーを放ったり、地元出身で駒田の応援歌が流用されるなど左の代打として人気はあったが、DeNAになってからは出番を失い2013年不可解な形で解雇され引退。 内川「お、ナイトゥー!」 〇新沼慎二 鶴岡と相川の移籍で30手前から1軍に定着を果たした捕手。 イケメンであり選手会長を任されるなど人望はあったが武山、黒羽根、細山田の捕手争いに敗れ2012年DeNA初年度に引退し現在はコーチ。 中畑「新沼慎二、大した選手じゃありません!!!」(引退セレモニーでの言葉) 〇加賀繁 暗黒末期の希望の星の一人だった右のサイドハンドリリーフ。 1年目は先発を務めるも3勝12敗と驚異のムエンゴっぷりを披露。 2年目からは中継ぎに戻りヤクルトの主砲・バレンティンの天敵として立ちはだかったことで知られた。 だが2017年にとうとう攻略されてしまったことあり翌年引退。引退試合で流れた映像ではそのバレンティンもメッセージを寄せた。 〇高崎健太郎 暗黒期末期のエース投手。2008年に中継ぎでフル回転した後に先発に戻り、2011年は防御率3点台ながら5勝15敗とムエンゴではあったが孤軍奮闘。 よく高めに抜けた球を痛打される事が多く、その名前そのものから「高さ危険太郎」とも。 一時の低迷を経て復調気味だったが、痛風になったのが原因からかまたも低迷、2017年に引退。 〇山本省吾 通称山省。2011年に寺原とのトレードでオリックスから移籍。 横浜最終年は消去法で開幕投手を務めたが、2勝11敗防御率5点台と何もできず。2013年に多村復帰の生贄で吉村、江尻共々ソフトバンクへトレードされ、その後引退。 〇清水直行 2010年まさかの移籍でやってきた元日本代表でロッテのエース投手。通称ジミ様。 1年目は二桁勝利をあげ期待に応えたが2年目から劣化を隠せず2012年解雇された。 〇黒羽根利規 少年時代地元上大岡で行われたイベントにて三浦といつかバッテリーを組む約束をした捕手。願いを叶えると横浜最終年から強肩と右打ちを武器に1軍定着。 だが、DeNAになってから獲得した若手捕手陣に押され気味で二軍暮らしが続き、2017年にトレードで日ハムへ。 〇武山真吾 暗黒期末期の消去法正捕手。肩は悪くなかったがリード、キャッチングの雑さに加え投手レベルの打率が原因で最終年後半からベンチへ… その後、移籍した西武では捕手失格と言われたが捕手不足の中日に移籍するとまたしても消去法で1軍の捕手に。 〇篠原貴行 かつてはダイエー黄金期の中継ぎエースだったが故障と年齢から大幅劣化し解雇されたところを恩師の尾花監督に拾われ2010年移籍。 1年目は防御率11点台で1軍帯同という暗黒期の象徴と言われたが2011年は連続試合無失点記録を果たすなど復活。 人望があったことから2013年引退後コーチに就任。この人もまたDeNAになった後の投手陣再建に辣腕を振るう。 〇渡辺直人 カスティーヨに変わる二塁手として2011年松井稼頭央の移籍の煽りをうけ楽天から移籍。 守備の上手さもさることながらその人望の厚さから在籍した球団全てで関係者とファンから愛された人格者。西武で内野のバックアッパーになった後楽天に復帰し2020年引退。 〇森本稀哲 2011年FAで日ハムから移籍したムードメーカーにしてラーメンマン。 守備と足は一級品だったが故障で不本意な成績に終わり、暗黒期の終焉の中解雇された。 西武で外野のバックアッパーになったが引退。在籍球団全てで生え抜き扱いされた程の人格者。 〇筒香嘉智 2010年地元横浜高校の4番という超高校級の評価を引っ提げて入団。横浜最終年の後半戦から違反球にも関わらず8本塁打を放つなど最後の希望となった。 その後、一時期の低迷を経て2014年覚醒し4番打者に成長、チームリーダーの立場となり侍ジャパンの4番も務めた。 その実績を引っさげ2019年オフ長年の夢だったメジャーに挑戦したが…。 〇国吉祐樹 最終年の後半戦に先発ローテ入りを果たした育成出身のイケメンハーフ。 一時期の低迷を経て昨季から中継ぎで成長するかと思いきや伸び悩み、横須賀四天王になってしまう。 2019年に覚醒し中継ぎとして定着したが2021年途中にロッテにトレード。 〇中村紀洋 ノリの愛称で近鉄最後の4番としてかつては日本人屈指のスラッガーだったベテラン。行く先々でパワハラや内部批判を起こし退団を繰り返した問題児。 最終年にTBSのツテで入団するも期待ハズレに終わる。DeNAになってからは復活したが2014年また内部批判で解雇。 〇大沼幸二 ネタの宝庫と呼ばれた西武中継ぎ陣、通称俺達の初代総帥としてネタを提供し続けたノーコン速球派のドラ1右腕。 2011年、首脳陣批判で1年で解雇された坂元とのトレードで移籍してきたが、故障明けに加えて開幕から炎上、三浦の勝ちを消した際の反省の気配0な笑顔など相変わらずネタを提供。 その後は2軍で幽閉、翌年に不倫が発覚したことに加え故障が重なりDeNA初年度の初夏に引退(*10) 西武時代から素行不良だったらしく、OBに協力的な西武においてスタッフになれないことが全てを表していると言われた。引退後は消息不明となったのも素行が問題だと噂されている。 〇坂元弥太郎 高卒2年目から便利屋としてヤクルト・日ハムで活躍した右腕。 2010年投壊状態のチームにおいて貴重な防御率3点台の投手だったが、首脳陣批判が怒りを買い1年で大沼とのトレードで西武へ。 〇荒波翔 2011年26歳で入団を果たした遅咲きの外野手。 最終年の終盤からスタメンに名を連ね、DeNA初年度からゴールデングラブを獲得するなど主力選手に成長。 だが急激に衰え2018年に戦力外通告を受ける。 〇井手正太郎 尾花監督がダイエー時代から起用したがっていたという意向もあり、2010年春に吉川とのトレードでソフトバンクから移籍。 横浜時代は成績の割に優遇されていると非難するファンもいたが、DeNAになってからは時にクリーンナップも打つ外野のバックアッパーとして一軍定着。 2016年に戦力外となり引退。 〇須田幸太 早稲田期待の星。ドラフトで大石達也を外したためハズレ1位で入団。 早速先発起用されるがイニングがあまり食えない上に飛翔癖などの問題が露呈したためほとんど勝てず。ヤクルトに9点差を追いつかれた伝説の試合の先発も彼。 その後は先発で6勝した年もあったが中継ぎに転向し、2016年にはセットアッパーとして定着した。しかしシーズン終盤での故障離脱からCSでの無理な復帰が祟って翌年以降は活躍できず2018年に戦力外に。 2019年は出身元のJFE東日本に復帰。故障を癒やした結果同年の都市対抗では全5試合に救援登板し防御率0.64で4勝とフル回転。チームの初優勝に貢献し、プロ野球経験者としては初となる橋戸賞を受賞した。 2021年シーズンを最後に現役を引退。現在はJFE物流社員として働く傍ら横浜商科大の非常勤コーチや解説者としても活動している。 やけにバッティングとフィールディングが上手く、投手として伸び悩んでいた時期は毎年のように野手転向した方がいいと言われていた。 他にもネタは沢山あるがベイスターズの未来を信じる方から追記・修正求む △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 反対意見もなかったようなので、コメント欄のリセットを行いました。 -- 名無しさん (2016-01-03 23 59 45) 黄金期到来や! -- 名無しさん (2019-07-31 21 22 01) TBS時代も別にケチでやる気がないわけではなかったんだけどな。あまりにも弱すぎて忘れられてるけどさ。使い方がおかしいだけで金自体はそこそこ使ってた。 -- 名無しさん (2020-08-08 18 43 17) 文字通りの草も生えない荒れ地だった、このTBS時代からよく立て直せたもんだ -- 名無しさん (2022-04-27 20 38 32) TBSがやる気なかった以外に何をやらかしたのかいまいちわからんな、ドラフトや外国人のチョイスが悪かっただけ? 会社主導で改悪強制したとかはないの? -- 名無しさん (2023-04-30 18 23 33) タグが酷いな ...幾らTBS時代が弱かったとはいえ、さぁ... -- 名無しさん (2023-05-29 00 39 09) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/bzspirit/pages/862.html
下屋則子(したや のりこ、1982年4月22日~)は、日本の女性声優。 2011年12月24日に行われたB z LIVE-GYM 2011 -C mon- 東京ドーム公演を観に行っている。 関連リンク 下屋則子 公式ブログ/恋した夜 外部リンク 公式プロフィール 下屋則子 公式ブログ 〜のりのり♪Diary〜 (旧ブログ) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/haxleague/pages/412.html
【監督】 nyaaan!(選手兼任) 【所属選手】 misaki、ヒカル、LS、nkgw 【チーム紹介】 楽しむことを第一に勝利も目指していければな、と思います。 出場機会はドラフト選手にも平等に与えます! ただ、捨てハンの人は基本的に指名しません。 チャットに来る時は、普段使用している名前で入室してください。 【入団について】 入団希望は行わない予定です。 一緒にプレーし、チームに欲しいと思った方をスカウトする形でメンバーを追加しています。 所属選手の上限である6名に達したら、スカウトの方も一度中止します。(11/12現在あと1名追加可能) 連絡はチャットワークで行います。チームに入団する方は導入をお願いします。 【ユニフォーム】 /colors red 0 1A28AB 1994FF 83E0F7 1994FF 【チームロゴ】 ↓旧バージョン
https://w.atwiki.jp/oreprosupi/pages/32.html
Wiki
https://w.atwiki.jp/hamilton/pages/236.html
2006年6月6日のシーレックス対楽天戦で入場者に配られたCD 『夜空の港☆星』が元ネタ。→公式ニュース 前衛的な歌詞が大ウケした。 アーティスト名の BayRex (ベイレックス)とともに、 試合出場メンバーが1.5軍状態のベイスターズを表す言葉として使われる事もある。 また、投手陣が花火師軍団状態になったときに使われる場合もある。 商品ID DNCS-2003 タイトル名or商品名 夜空の港☆星 アーティストor出演者 BayRex☆☆☆ 価格 \ 1,000 種別 マキシシングル メーカー ポリドール(株) レーベル Double Neck Records 曲目 (1)夜空の港☆星 (2)シーレックスバウンド (3)夜空の港☆星(カラオケ) (4)シーレックスバウンド(カラオケ) 発売日 2004/08/18 (アサヒレコードHPより) 加山雄三の「夜空の星」、ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」の替え歌。 ☆☆2006横浜実況スレ 6/4日本ハム戦 エピローグpart6☆☆ 105 名前: ホッシー君@連勝街道入り口 投稿日: 2006/06/06(火) 00 14 25 おーい http //www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=DNCS-2003 ジャケット写真あったよ 試聴も出来るよ 120 :ホッシー君@連勝街道入り口 :2006/06/06(火) 00 17 28 105 ♪夜空にはあんなにホームランが舞う♪ 花火師の歌か 160 :ホッシー君@連勝街道入り口 :2006/06/06(火) 00 28 42 シャイニンベイスターズ♪っていうフレーズは ここのスクリプトでもなかなか浮かぶまい BayRex☆☆☆は間違いなく天才集団だ 184 名前: ホッシー君@連勝街道入り口 投稿日: 2006/06/06(火) 00 35 38 〔 `」´〕()・:・()<夜空にはあんなにホームランが舞う♪ 217 :ホッシー君@連勝街道入り口 :2006/06/06(火) 00 47 21 どこまでも輝けシャイニングベイスターズ 夜空にはあんなにホームランが舞う ↑これは被弾でしょうか打ち込んだのでしょうか。 その感性であなたのシャイニングベイスターズ度が分かります。 270 :ホッシー君@連勝街道入り口 :2006/06/06(火) 01 06 53 夜空にあんなに舞ったホームランは 被弾派━┳━アレ様だよ(元祖花火職人派) ┃ ┣━吉見だよ(飛翔伝派) ┃ ┣━土肥だよ(去年の実績派) ┃ ┗━ていうか全員だよ(シャイニングベイスターズ派) 279 :ホッシー君@連勝街道入り口 :2006/06/06(火) 01 09 14 270 その前に被弾派以外は認められていないのかwwww 284 :ホッシー君@連勝街道入り口 :2006/06/06(火) 01 11 47 279 打った派━┳━村田様だよ(4番で二冠王派) ┃ ┣━多村だよ(スペランカー派) ┃ ┣━ていうかみんな打ったよ(追いつかない程度の反撃派) ┃ ┗━古木だよ(シャイニングベイスターズ派)
https://w.atwiki.jp/bmxh/pages/28.html
ベイスターズの先発状況~11.6.7(2) 今期、 横浜球団がシーズン開幕前に確保した先発の三本柱、 清水・三浦・大家の三人が皆、 三浦の5/4の登板を最後に以降の登板機会無し。 ではこの状況で一体今、 横浜では誰が先発を投げているのか? 6/7でのベイスターズ先発状況 (選手名の下の数字は登板日の失点を左からただ並べて行った数字。 防御率では平均されてしまう為) 山本省吾はオリックスからトレードでの移籍組みながら 今シーズンの開幕投手。 移籍して来ていきなり開幕投手を任されるなど 尾花監督の信頼が最も厚い投手。 しかしそれもその筈、その尾花監督が今期、 「チームの立て直しの為、何としても欲しい先発左腕」、 「ローテーションの柱」として、 若手の寺原を放出してまで獲得したピッチャー。 開幕の座も単にその期待だけでなく、 キャンプから尾花監督の熱い指導の下猛練習に励み、 見事合格を勝ち取った成果だと言う。 尾花監督は野村ヤクルト、王ダイエー、原巨人のチーム等で 投手コーチとして選手を指導し、 その手腕と実績を絶賛された人で、 横浜再生の道も何より投手陣の整備が欠かせないが、 その尾花監督が“柱”と頼む山本省吾。 これまで実戦では中々苦労をしている感じだが、 こういう選手はその存在自体が、 何か目に見える数字以上の影響をチームに与えるのではないか。 他の選手では今のところ高崎が抜群にいい。 戦績は1勝4敗ながら投球回数58で 防御率2.64の安定したピッチング。 シッカリ先発として試合を作っている。 所謂ムエンゴ状態なのだろう。 それと加賀が中継ぎから先発に回っていい活躍をしている。 新人では須田と眞下がいい感じ。 特に須田はルーキーイヤーの一年目でいきなり ローテーションで回っているのが素晴らしい。 眞下も同じく、 5/15のヤクルト戦ではノックアウトされながら 全体に大崩れはせず、 やはりローテーション復帰が待たれるピッチャー。 先発投手主力三人の離脱が返って他の選手達の奮起を促して いい結果をもたらすか。 しかし先発の抜けた穴を他の抑えの所から動かして 持って来なければならないのだから、やり繰りは大変だろう。 尾花監督は早くも昨年、去就が心配されたが、 最低でも三年は欲しい所だ。